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個人的に〇〇好きだけど××なことを匿名性で△△書いてみようと思う□□ブログです。偏見的なものから変態的なものまで様々に書ける限りで。毎日は書かないと思います。
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性別についての障害は、以前にも書いたと思う。自分が男性であることに対して、小さい頃から母親によって傷つけられ、エスカレートして行き、気が向いた時に勝手に部屋を掃除する母親が、男の部屋からエロ本のひとつも出てこないことに違和感を感じなかったのか、その後も攻撃姿勢は崩さず、単に家事を手伝わないだけで「親不孝者」と叫び、大勢の人にあることないこと、相当ひどい事を毎日のように言っていたのだろう。
ある日、母親の帰りが遅いことから、飲み屋にいるのではないかと言う流れになり、店に電話をかけたところ、そこのママが出て母親の名前を言うと、逆ギレして「あんた、お母さんの気持ち、分かってあげなよ!」と意味が分からずに無条件で言われたのを今でも覚えている。
第三者から物申すは相当である。父親以外の男を部屋に連れ込んではエッチをして喘ぎ声を夜中に出し、小学生だった頃の自分が母親の、当時の解釈では”苦しそうな声”が疑問で気になって、部屋を見たら本番最中に、なぜか布団屋のセールスのおっさんが「何見てんだ!早く寝ろ!」、だらしない顔をした母親と。
衝撃だった。小さい頃から自分が男と言うことに対しては、特に意識もしていなかったことと、ごく自然なことであり、当たり前に接してきたし、イカレタ母親以外は、自分の中で言うところの”母親”は、おばあちゃんだった。
おばあちゃんは、いけないことはちゃんと叱ったけど、ちゃんと名前で呼んでくれていたし、「男の子なんだから」とは言わなかった。明示的に性別指摘は一切しなかった。
注意の仕方も、ちゃんと意味を教えてくれていたし、怒鳴ることもなく、言われた通りにできた時は、ちゃんと優しくしてくれた。
自分が人に説明するのが丁寧だったり、優しくしてあげられたりするのは、おばあちゃん譲りである。
そのおばあちゃんから、母親が教育するようになってからは、言うことが酷い。
はっきり言って、母親失格。認められない。自分の中では無理。正直なところ、親ではなく他人。それくらい違っている。
本当に血のつながりがあるのだろうか?と思うほど。
してはいけないこと、についてのしつけは、厳しいのは確かで、父親との離婚からさらに厳しさを増した。それは厳しいと言うより、男に対する八つ当たり、偏見からくる劣等人間扱い、言うことを聞かないからとナメンナの口調、いつも常にカッカしてキレてるような人だ。
この年になって、いろいろと整理がついて、ようやく理解できたが、すでに遅い。もうどうでもいい。
今さら母親に謝られたとしても、どうでもいい。傷は消えない。この傷の仕返しは最大の、母親本人がとても希望していた「親不孝者」呼びしていた通りの、「結婚をしない」「孫はない」そして「未来はない」だ。
20代の頃から、せめても女性に対しての意識が持てていれば、まだ救えたのかもしれない。
それすらしなかったのは、家族の中では唯一の、女性代表である、しかも一番影響力の大きい存在である「母親」から、毎日のように言葉で虐待を受けたためである。
「男って」「男のくせに」この言葉が、どれほどの破壊力をもたらしているか。
息子の自分は、「男」である。心は望まなくとも体は「男」なのである。
その母親から常に言われていたことは、「男は頭が悪い」「男のくせに」あたかも、男であるがために、自分は劣等人間であると強制的に認識させていた。
加えてニュースでも、痴漢問題について触れていたことがあり、警察沙汰になった場合は人生が終わる可能性もあると言う実態を見てしまった以上、怖くて怖くて、とても手が出せなくなっていた。
女性の体を触るだけで犯罪者扱い。男とはそう言う部分でも十分ハンデがついている。
確かに、暴力では男性は有利だろう。だが、言葉の暴力は女性がキツい。
何度もそうやって、自分を否定し続けた。家に帰れば「勉強は」
楽しいことがあって、嬉しさから”共感してもらいたくて”母親に話したら、「あっそ、勉強は?」
笑わない母親。そしてとどめは「男のおしゃべりは気持ち悪い」最強の鈍器だと思う。
コミュ力を奪ったわけだから、意思疎通不要、会話不要、すなわち、情報収集不要。
人間関係形成不可。様々な支障をきたすことすら、怒り任せで頭に血が上って、判断もできないくらいなのか、よほど、男と言う生き物に、ろくな目にあわなかったのだろう。
言葉でぶん殴っても蹴っ飛ばして心をズタズタにしてでも、男は女を求めてくる、絶対の確信を持っての暴言で、不安要素もなければ、気にもしなかったわけだ。
それは、ある程度、男性としての性質をしっかりと、根っこから持っている奴が問題ないものであって、幼い頃から、分かりやすく言うなら、これから成長する苗木に、根っこやら枝やらを傷つけてしまったら、成長するにつれて傷は薄くなるかもしれないが、度が過ぎれば枯れてしまう、と言うことが分からなかったのだろうか。
家に帰れば勉強を強要するから、友達との帰りで、家に帰らず遊びに行く。これが、母親から言うには「ランドセルを置いてから遊びに行け」と言うが、そのようにすれば「宿題やってから遊びに行け」宿題をやっと終わらせると17時を過ぎていて、「もう遅いから行くな」それって”遊ぶな”って言うのと同じ。
そうなりゃ当然、家なんか帰らない。そのまま友達の家に遊びに行って帰ってくる。そこを「言うことを聞かない、親をやめている」と解釈した母親はひねくれているし、その歪んだフィルターから子供の意図など読み取れるはずもなく、一人でキレている。
自分からすれば、ただ怖いだけの、甘えることもできない、役に立たない人。男のおしゃべりは気持ち悪い、これを言ったら、もう相談相手にもならない。
常に怒ってばかりいるような人に、楽しいことを話そうなんて思わない。
中学になってからは、布団屋のおっさんが父親の代わりになり、籍は居れずに同棲するようになる。
最初の頃は、自分のことを「くん」付けで呼んでくれていたものの、時が経つにつれて、声を荒げて呼び捨てする始末。
そしてそのおっさんからも「母親の金で飯食ってんだ」最低だ。義務教育期間の子供に、そんなことを平然と言うのだから。
さらに酷いのは、子供のいる前で、わざわざサラ金の話しをした。子供にお金の心配をかけさせると言う。
自分は違和感なく、大変なんだなーと思って、しゃべることを禁止した母親の縛りもあって、友達は作れず、同年代であろうと敬語で会話していたから、心を許せるに近い、安定した相手は先生だけだった。
その先生から言われたのが「お前の口から、借金と言う言葉が出るのはおかしい。」
第三者の誰が見ても異常事態であることは明らか。だが、家庭問題のために、誰も踏み込めなかったのだ。
進路相談においては、本来は本人含む、親と先生を含めての三者面談が普通だが、自分の場合は「男のおしゃべりは気持ち悪い」の縛りから、母親は除外、先生もこの重たい事情を察して、配慮から自分と先生だけの相談になった。
先生からの提案は、やればできる子であるにもかかわらず、本気で勉強嫌いにさせてしまった母親のため、偏差値が低すぎてしまい、普通の高校に入ることは不可能で、入れても農業高校と。しかし、借金問題もあることから、普通の入学は厳しいとの判断。
そこで、定時制、今で言う単位制高校に行くように提案する。4年と1年多くかかってしまうが、卒業すれば普通の卒業と同等扱いされるとのことで支障はないからと、自分もその流れで決めた。
当時の定時制は、商業高校しかなく、機械いじりが好きだった自分の望む工業高校は諦めざるを得なかった。
そして、いよいよその進路についての相談の日がやってくるわけだが、親はすでに決まった話しを聞くだけの状態になっていたわけだ。
「なぜ進路の相談をしてくれなかったのか」と、そこを今でも悲観しているが、母親自身が息子に対して、何をしてそうなったのか、については考え「られない」ようである。
男のおしゃべりは気持ち悪い。この縛りがすべてを奪ったに等しいのに。
全くもって、裸の王様である。
男であることに、強烈な嫌悪感を抱くようになり、中学から同時にニット短パンオナニーに目覚めてしまうことから、必然的に女子を必要と「しなくなる」。
そのため、興味は外れて行く上、誰も知らないところでオナニーがどんどん進行し、高校卒業してからは女児ショーツに手を出す。
そして、禁断の女児ショーツオナニーを知って病み付きになる。あまりにも気持ちよすぎる相性の良さで、本当に本気で女がいらなくなっていった。
それでなくても、女性代表の母親が、毎回ブチ切れて、男の印象を悪くつけてくるとしたら。お分かり頂けるだろうか。
そんな存在、いらねーよ。
これまでの男どもが、母親に対してどんだけ口説いて寄ってきたのかは知らない。
ヘラヘラしてエッチ目的で近寄って、ボディタッチは当たり前、そう言うのを拒否らない(拒否れない)仕事柄、職業病とも言えるが、水商売をやっていたせいで、人間の表と裏を見て歩いてきた人だけに、心理の使い方はお手の物である。
複雑な人間関係でも、店の利益のため、強い酒でも何倍も客と付き合いながら、深夜はオマケとして体を売っていた。
父親との離婚から生活も困窮していたから、男に金を出させては体で返していた、と言う流れである。
いろいろと汚れすぎている家庭環境。おばあちゃんに育てられた期間が濃厚で、それが基準だったから、母親のしつけは自分には受け入れられなかったのである。
名前で呼ばない、好きなことを「変わってる」、得意なことを「頭がおかしい」そんな暴言を毎度言われれば、さすがにな。
さらに生活費がかさむと「あんたがいるから、電気代が1万超えるんだ!」叫ぶ。意味が分からない。
明かりつけっぱなし、テレビつけっぱなし、カーペットいれっぱなし、オーブン、レンジよく使う、電気ポット常に使うから1日に何回も沸騰。そのすべてを息子が原因でかかっていると。
何度自殺しようかと思ったことか。自分が男で産まれたがために、迷惑がかかっていると。
おっさんからは「役立たずの大飯食らい」だいの大人2人そろって、子供を言葉で虐待。
このDV問題は、今の時代であれば確実に取り上げてもらえるだろう。
だが、親の年齢もそこそこ、すべてが解けた今は傷は癒されないが、憎しみも消えないが、謝らせたいわけでもなく、そんなことをしても、今さらだ。本当に今さら。年老いていけば、それほど女性を求めることは難しくなって行く。
せめて男性として生きていることに対して、女性を求めたい意識があればまだ救いがあるが。
あるときは、この世の男を全員抹殺してしまえばいいか、無差別殺人でもやらかそうかと、同じ死ぬならそんなやり方もありかと思うほど、自分の生まれ持った男と言う性別に対して恨んだ。
母親がそうさせたのだ。おばあちゃんは、そんなことは絶対しなかった。間違っても暴言は吐かなかった。
孫が可愛いから、なおのこと許せるのかもしれない。本当に優しく、可愛がってくれた。だから自分の本質は、物腰が柔らかいし、教え方も丁寧だったり、話し方も優しかったりする。
それを母親の手柄と自慢されるのは納得が行かない。中学、高校と、電話で先生から褒められていたことを親は話すことがあるが、そんな意外な一面を知っていながらも、褒めることもせず、いじめて脅して馬鹿にして、泣かして気の済むまで怒り任せに暴言を吐いたんだ。
その傷が癒えることは一生涯ないだろう。性転換でもしない限り。
女児ショーツに触れてからは、女装すると言う意識がないまま、自分に合っていることが安心感につながって、いけないことと知っていても、心の安心感には勝るものがなく、ひそかに身に着けていた。
それも慣れてくると、スカートも欲しくなったりした。一人の時間に身に着けてみたりした。
その頃から、女装と言うものが、自分にとっては新鮮ながらも、心が求めている安心感が強く感じるようになった。
しかし、体が男である以上、女物は無意識に興奮してしまい、着てすぐはオナニーにしたくなるが、落ち着くと心の安らぎが訪れるようになる。
男として女を求めた頃の自分も嫌いだった。わざとカッコつけようとして生意気な態度を取ってみたり、できもしないことをやってみたり。
だから男として生きるのは生活のためと割り切って、心の性別は女性として、女装を楽しむ時間を大切にしている。
恋愛対象については、すでに歪められてしまっているため、女性を求めるより、”理解者を求める”になっている。

中学の頃に、クラスの男子に言われた「顔がやつれてる」。
無理もなかった。毎日、毎日、母親とおっさん、大人2人が言葉でDV食らっていたわけだから。
子供のうちは、それで通ったとしても、年頃になっても女性を求めようとしない、普通なら異性を意識するようになると、清潔感から始まって、オシャレや身だしなみを気をつけるようになったり、鏡を見てスタイルを気にしたりと、誰が見ても分かるような変化が起きるのである。
それが一切無くても、何も気にしなかった母親。22になってから地元を抜け出し、10年ほど派遣をやって、リーマンショックによって地元に帰った。
再会した時の母親の顔は変化がなかったが、弟はきっちり男としてカッコよくなっていて、今では2児の親である。
母親は弟のことは可愛がるが、自分には甘えてくる、だらしない人間になる。
共に生活をするようになると、次第に生活費で甘えてくるようになり、弟が結婚して出てってからは、自分が一人で生活して、母親が居候状態にまでなった。
それでも何とか支払いを工面してやってきたが、しまいには母親はクレカに手を出してしまい、その支払いがついて回るようになる。
そのために仕事をするようになり、もともと金銭感覚がない馬鹿のため、支払いと利用額がどんぶり勘定になっているから、どんどん使って枠いっぱい、そこにキャッシングにも手を出して、母親の1ヶ月の給料がクレカに飛ぶようになる。
そこからは自分が、完全に近い生活費の支えをやった。それでも母親は、節約もしなかった。使い放題、出しっぱなし、つけっぱなし、お構いなし。
ビデオデッキの故障になったらこっちが修理代を払って、母親が使う。
猫ももらってきて、エサ代、砂代、無駄にかかるようになる。
自分が買ってきて、母親は当たり前に使う。金はなぜか全額自分が負担していた。
国の決まりで、社会保険強制加入が適用になると、交代勤務をせざるを得ないことになる。
毎月20万がすべてなくなる生活をしていた。
仕方なく派遣に入り、交代勤務をするようになる。社会保険を引かれても残る20万でやりくりしていたが、正月、お盆、GWと、有名な大型連休はまともにダメージを食らい、極端に収入が下がるため、副業に交通誘導をやったりした。
警備の仕事はしたことがあるので、要領は分かる。無線も難しいことはない。職長はやったことがないから、KYが書けないだけである。
そんなこんなで騙し騙し、世間は休みで遊びに行く客でにぎわうスポットに、警備員として仕事をして。
年中仕事漬け状態であろうと、母親は生活を協力する姿勢はなかった。
そしていよいよ、自分も我慢の限界を迎え、正月の仕事を断った。月収は14万。
母親「どうする?」どうもこうもねーよ。
母親は1日『4時間しかしない』仕事で、9時30分に家を出てから、14時30分には帰ってくる。それから何をするでもなく、布団に入ってテレビを見ながら寝る。18時頃にのこのこ起きてきて、夕食を作る。
料理は母親がやるが、使った食器や器具は自分が洗っていた。無駄に皿や入れ物を使って洗い物を増やし、手間をかけさせていた。
油料理が主で、つまみ系の味付けをおかずに仕立てただけの、かなりお粗末な食事。決してうまいとは言えない。もともと料理はかなりのへたくそで、子供の頃に一番嫌いな食べ物が肉だった。その中でもハンバーグが嫌いだった。へたくそな料理を嫌々やるため、ハンバーグは肉と玉ねぎの甘み、旨みが凝縮されていなければいけないものが、強火で『長時間』焼きすぎるために、肝心な中の肉汁や、おいしい旨みがすべて出てしまい、スカスカ状態の固い食べ物となっていた。それを食わされて、仕方なくソースをベタ塗りして、ソースの味で食べていたほど、まずすぎて苦痛だった。
肉嫌いを克服させようと、無理強いで肉攻めにさせられた時は散々だった。スーパーの安すぎる肉を、古くなると肉そのものが変色し、味も独特の臭みが出て、非常に食べづらくなる。それを無視して、しょう油でしょっぱい味つけに仕上げて、おかずはその肉のみ、などと言ったことがあった。いじめである。
そんなことがありつつ、小学校の家庭科で調理実習をやった時に、クラスの子と作ったハンバーグが、実に、非常に美味し過ぎていて、感動したのを覚えている。
あれは衝撃だった。こんなにおいしいものなのか!と。子供はハンバーグが大好き!とはこのことかと。
本当に、母親、実の肉親でありながらも、尊敬は、できない。何ひとつ、お世辞も言えない。本当に、どうしようもないもの。

こんな形でも、性転換させてもらえるのだろうか。気になるところである。
年は受け入れる。性転換可能で成功したら、オバサンでも女性に変わりない。
街を歩いていても、女性を見ると、憧れてしまうことが多々ある。
長い髪、瞳の形、着ている服のコーディネート、ネイル、アクセ、デコ。
体そのものでは、やはり胸の存在。本格化してきた女装で、擬似的に胸を装うことができるシリコン製のものをつけて、ブラをしたこともあるが、胸のふくらみがあるだけで、やはり違いを感じる。今までなかった部分だから、違和感はあるものの、納得する自分もそこにあり、そのギャップと葛藤する。
これが本物の胸で、自分についていたらと。胸のふくらみを支えてくれるブラの効果も、感じ方も、ありのまま自分で受けてみたい。
ただの興味本位ではなく、心がそのように求めている。そして、鏡で絶望する。結局は、男の体である。
下半身だけ女装、顔見ないルールでも、限界がある。肩幅などがそうで、腕の長さも。
ネットで性同一性障害について調べていると、およそ自分も当てはまるのかと思うことがしばしばある。
ただの女装癖、性癖と言うわけではなく、心が求めるものだから。
リアルで女性として生活することは、できないために、服は買い込「め」ない。
そこで、女子学生服などで妥協する手段を取っている。セーラーでなくても、ブレザーで十分。
本物を買うと、そろえるだけで5~6万は超えてしまうので、コスプレ枠にある女子制服で可愛いものを選んで、着て楽しんでいる。
こうなってしまったことを、後悔してもいない。むしろ、中学時代に知ったニット短パンオナニーのおかげで、女性に手を出さずに済んだので、守ってもらえたと思っている。
さらに、女児ショーツに触れたことで、男の本能より理性が強くなり、女性であることのほうが心は明らかにしてくれた。
もし、性転換をした後も、生活をやっていけるのであれば、可能性がある限りは、手術したいと思うのは、今後も変わらないと思う。
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ニット短パンオナニーの味を知ってしまうと、おそらくは女の子を求めなくなるのではないかと思う。
人によっては、人は人、物は物として扱って、オナニーの道具に当てる割り切り方もあるかもしれない。
自分の場合は、この快楽によって、女の子の代役と言う位置づけとなり、非常に相性が良いために、毎日、何回遊んでも飽きないことから、自分のことを大切に可愛がってくれる存在、自分もとても嬉しい快楽が最高の笑顔として感じるようになり、擬人化した。
今でも、本当に可愛くて、何回遊んでも飽きない、楽しすぎる相手として、手放せずにいる。
女装に関しても、可愛い服を着ることの楽しさと言うものを味わって、女性としてのオシャレがとても楽しいと思えるようになった。
もともとが、女の子扱いする方向が強かったこともあり、いつしか自分自身も心が女性に向いていた。
安心感と快楽は、心から受けるもので、きっと何にも変えられないと思う。
仕事が安定しない、収入が安定しない、出費がかさむ。
あまりいいことはない。だが、それも仕方ないかと思える。
諦めつつも、これまでのことを考えれば、かなり恵まれていたのかもしれないと思える。
今まで、住みたい地域を選んで、仕事内容も無難なものに就けて、それとなくこなしてきた。
各地の良さ、不便さを感じつつ、住めば都、とはよく言ったものだと納得。
神栖に居た頃なんかも、本当に不便さがやばく、それでも自転車で片道30分の道のりを地道に走って、まぁこんなもんかと思いながら過ごしていた。
一番便利だと思ったのは、滋賀県は近江八幡市に居た頃だ。ここ自体は特に何もないが、ここを拠点にすることで、2大都市である大阪、名古屋が在来線で、わずか1時間程度で行けてしまう点だ。京都にも30分、本当に良い。
それ以外は、そんなに極端な印象はない。岡山と静岡は気候も似ていたし、電車も新快速と言う概念がなく、完全鈍行しかない点も共通。
諫早(いさはや)に3日程度居たこともあったが、それだけで語れることなどない。
おすすめは、東は埼玉県、西は滋賀県となる。都会過ぎず、田舎過ぎない。すぐに都心に出れるベッドタウンとして、良いと思う。
今は、神栖市と同様にやばい、静岡県は牧之原市に居る。となりには、御前崎市、榛原郡吉田町などがあり、このへんも海沿いである。
150号線が近くにあり、地域は相良(さがら)になる。神栖に居た頃のように、最初は自転車で近所を行き来していたが、さすがにやばいので、原付を買った。
その原付でも、150号に出てからいろんな店が見えてくるまでに、およそ30分の距離だ。原付で30分、自転車なんて到底無理な話しだ。
加えて、今年は二輪免許も取ろうかと思っている。普通二輪を取っておけば、125ccでもいいから乗れるだけでも違ってくる。原付は、結局原付である。時速30kmなんてトロトロ走ってれば逆に危険、基本的に左寄り、右折はもっと危険な二段階をしないといけない箇所もあったりする。
普通二輪で125cc、あるいは250ccクラスになれば、それだけで乗用車と対等に走れるようになるから、隅っこでちまちま走ることはない。その分、危険性も低くなってくる。
雨の日、風の強い日の、海沿いは本当に危険である。原付は軽いから、ハンドルが危ない。そこへ車に追い越されればどうなるか。風向きは常に不安定、急激な変化に、高速走行で対応できるはずもない。車体自体が重たくないから、簡単に持っていかれる。要は事故る確立が高すぎてやばい。
原付ごときが二車線道路で、堂々と車道のど真ん中を走れば、乗用車ドライバーが黙っているわけがない。逆の立場ならクラクション使うだろうな、と。
この海沿いに面する地域は言うのは、いろいろと住むには適さないことが多い。
風は強いときで飛ばされそうなほど、地震があれば津波が来たら終わる、住む人が限られるためスーパーの品揃えが悪い、店員や役所の対応が普通にタメ口、どこ行くにも最低片道30分はかけないと何もない、建物がガタが来てるところが多い、など。
1年以上の実績を作ったら、次はそろそろ落ち着きたいから、滋賀か埼玉のどちらか、あるいは岡山に戻るか。
仕事、会社に対しては、特に不満は持っていない。あっても、毒吐いたところで、やるしかないわけで。習うより慣れろの世界だから。
再び、ニット短パンオナニーに向いてきたこの頃に、布地のダメージが気になりだし、他に何か方法はないか、探していた。
仕事も落ち着かない上に、本当に安定とは無縁ながらも、ニット短パンオナニーだけは安定。むしろ好条件。
ちんこ触るだけで気持ちいい。欲しい時に、すぐに刺激が来てくれるのは嬉しい。
中学から馴染みのあるオレンジのニット短パンも、そろそろ布地自体の耐久性の限界が近いと思える。
毎回同じところが擦れるわけだから、当然と言えば当然なわけで、完全に廃止してしまう直前に、売店、購買に寄っていた時に、すべて買い占めておけばよかったと後悔しかない。
サイズが大きいものでも、同じ素材で作られていたから、限りなく近い代用ができた。最終的に片付けられてしまってからの、二度目の訪れの際に、処分として送り忘れてしまった在庫があると聞いて、残りをすべて買って帰った。女子用の濃紺ニット短パンだ。
女子用と聞いたら、おいしいんじゃないかと思われそうだが、全く持っておいしくはない。女物と言うだけでハァハァできるほど青くもないので、すでに女児ショーツ着用で、ある程度耐性ができてたりして、自分の中で安全な、知っている味しか求めていない。
素材のこだわりや、味わいなどの、その全てを求めて、欲しくて仕方なくて、代わりになるものはなく。
今に至る。入学当時に使っていたニット短パンは、相性が良すぎたせいもあり、早い段階で飽きたり、それも超えると腹下ししてしまうため、着用を辞めざるを得なかった。捨てずに取っておけばよかった、とも思うが、おそらくどの道、持たないと思う。
そして、廃止手前で手に入れたニット短パンが現在のもの。かなり経過するのと、抜くたびに、さらなる刺激を求めるため、つい傷めてしまう。
何度抜いても飽きない気持ち良さは、一生涯、年を取らない娘となった。本当に可愛く、愛おしく、その肌触りと刺激が新鮮かつ変わらない。この矛盾がまたおもしろい。
当時使われていた「テイジン テトロン」は、現在は行方が分からない。「ウェルキィ」については進化を遂げて、あらゆる素材に使われている。快適さでは、かなり上のランクに位置している。昔からハイテク素材として扱われていたと言うのは驚きだった。
学年別に素材が違っていることに気づいたのも中学の時で、肌触りが全く違うと言う点で衝撃だった。
自分の学年に採用されていた布地は、とにかくスク水そのものだったから、それ以上にぬるぬるしていたが、蛍光色オレンジと言うのもまた印象が強烈だった。
当時、どの学校でも学年色だけのパンツだったから、ライン色で学年を示す母校は、ちょっとオシャレ感も感じた。
ただ思うのは、なぜ男子用ニット短パンだけ、オレンジのメインカラーに学年色ラインとして、女子用は濃紺統一だったのか。
高校でも使われていたとされる、素材は違っても同じメーカーのオレンジのブルマが存在していたわけだけど、濃紺にせずに、ブルマにしなくてもいいから、女子用独特の短パンも同じようにオレンジ色にして、学年色をアクセントにして使わせればよかったんじゃないかと思う。
おそらく、そこまですることは不可能だったのかもしれない。予算的なことや、企画の段階で契約の絡みから、そんなに自由度は高くできなかったのかもしれない。
学年別に素材が違っていたと言うことは、それぞれに素材を用意していたかもしれない。生産時期によってロット次第で布地が変わるとすれば、まだ分からないこともないが、それぞれの学年ごとに、そう言う素材で変わらなかったから、敢えて素材が指定されていた可能性がある。
となると、研究開発用としても量産としても、専用素材を使っての試験的な試みや改良がなされていたのかもしれない。
今後の開発に協力することも含め、メーカー側としても研究のために試作に費用を充てるには負担も高くなり、販売できるようになるまでには相当の対価があるのだろう。
そこで学校側としても、開発途中の素材についての研究に協力すると共に、専用カラー、専用素材での生産でリスクの少ない量産対象、そう言う何かを締結していたのかもしれない。
学校に対して販売すれば、毎年必ず安定して需要と供給が求められ、安泰なのは確かだ。そうすると、長い年月に渡っての、深い契約を結んでいたのかもしれない。
そうなると、時代が変わってモデルチェンジするようになってても、契約がある以上はそう簡単には変えられないかもしれない。
開発費用をかけても、学校に販売することで収益は取れる。本当に特別なものだったのかもしれない。

などと、いろいろ考えていても進まないから、過ぎたことは仕方ないとして。
求めるものは、知っている範囲の刺激、知っている似たような肌触りであることだ。
分離すると、刺激=女児ショーツ、肌触り=スク水、となる。
それぞれを用意して、重ね穿きすれば、成り立つのではないか、と考えた。
色も重要だったが、オレンジのスク水も、あるにはあるが、実はオレンジと言う色は、かなり違っていて、濃淡だけでなく、色合いも幅がありすぎて、明確にコレと言うものが、当たった試しがない。
それに、濃紺色の二新のスク水ですでに相性の良いものは持っているし、女児ショーツでも変わらぬ刺激のものは持っているので、試してみた。
結果、なかなかイケる。と言うか、まさにニット短パンの時に限りなく近い。スク水の肌触りと、女児ショーツの綿パンツが、違和感なく、知っている形に限りなく近かった。
それで抜いてみると、本当に気持ちの良い刺激が来て、少しだけ違いがあるのは仕方ないとしても、これまで別々に味わっていた、女児ショーツとスク水を重ねることによって、ニット短パンオナニーに近い遊び方ができることを知った。
ただひとつ、物足りないとすれば、それは短パンでは腰まわりをゴムが締め付けていたものが、スク水にあるはずもないので、お腹を締め付ける要素がないことだ。
その程度なら、さらに短パンでもジャージでも、重ねればいいだけのことだから、あまり問題視しない。
それより、ニット短パンオナニーが再現できたことが嬉しかった。本来、スク水だけでオナニーしようとすると、ポリエステルを直に肌に触れさせているため、いつもなら綿パンツが包んでいる優しい刺激がなく、ポリエステルだと肌触りに敏感なお尻には不向きなのだ。
女児ショーツの綿パンツであれば、お尻には変わらない肌触り、重ねてスク水から、手にはポリエステルのツルツルが。
ニット短パンは直穿きしないので、綿パンツ+スク水、と言う構成が出来上がっていたことになる。それを再現させただけのことだが。
あとは、スク水では太もも部分まで覆うものはないので、そこが妥協点になるだろうか。
ちんこを揉んでみても、女児ショーツの気持ちよさと、手からはスク水の肌触り、この矛盾が適って脳内が理解する。
簡単に達することができたし、繰り返し遊んでも飽きなかった。
あとはこれで、オレンジのスク水を手に入れて、同様に楽しめれば、もう言うことはないのかもしれない。
今後、ハーフパンツも、どうなるか分からないので、と言うか、体操着そのものが、今後どうなって行くか不明である。
ニット短パンの味を知って育ってしまった人には、これから先、同様の味わいを求めたくても厳しくなるかもしれない。
女児ショーツ綿パンツ+スク水の組み合わせをおすすめする。一度お試しあれ。
以前、このファートフェチ要素(おなら)については、やめるつもりでいたものの、結局出だしがここからのせいか、影響を受けていることに気づいて、再発したのでネタとして使うことに。
好きな人は好きな、ファート(おなら)フェチ。もう専用サイトに行く気はないものの、自分なりの楽しみ方はあり、その性質もかなりの特定条件を満たさないと、まず勃起することはないから、取り扱う上でも万人受けすることは目的としていない。
共感持てる人は読んでくれればいいと思う。
子供の頃におならで遊んだ人は、馴染みがあるのではないだろうか。
それがおもしろいと、他人の前では失礼だからと注意を受けても、やっぱり出しておもしろがっていたりして。
その延長線上に続いて、小学校から中学に上がっても、その幼い遊びから離れられず、恥ずかしいと思うようになると、スカへをしてやり過ごすことも。
臭いとどうしようもないから、結構我慢することも多かったり。
そんな中、中学からは体操着を中に着て登校する、と言うスタイルが定着する。これは、今まで女子に対して特に性別を意識した接し方をする前の、本当に子供のままで無垢な心を前提にしての、同じ教室で着替えることを当たり前にしているわけだけど、中学で思春期を迎えるに当たり、性に対して意識が高まるようになり、いろいろと大人の枠に入る機会が増えてくるようになる。
すると、同じ教室で着替える時に、今までは女子は普通に下着は隠しながら着替えていたのに対し、男子も下着を見せることを抵抗するようになる。その露出対策でもあって、あらかじめ中に体操着を着ていれば、着替える手間もなく、学ランを着てしまえば分からないため、暗黙の了解で体操着は着られた状態で過ごしていることになる。
この体操着を常に着ている状態、と言うのが、自分にとってはかなり影響を与えた。小学校では絶対に普段着にならなかった体操着が、中学からは1日の半分以上を体操着を着て過ごすわけで、家に居る間だけ普段着になっていたものの、体操着がそこまで馴染みがないため、とても新鮮だった。
最初は戸惑いもありながら、みんながやっていると、特に不安もなくできたりする。そして、同じように体操着を着て過ごしている、と言うことを意識させられてしまう。
これまでは普段着なら相手のファッション、着ているものが気になったりしたものの、制服を着て登校するスタイルになる中学からは、社会人ではいわゆるスーツにネクタイと言ったスタイルに入る前の準備段階と言える。
全員同じ服を着ると言う光景は、体操着でしかありえなかったこと、その前は幼稚園程度。幼稚園でそんなことを意識するのは大人だけだ。その大人も特に意識することなく、園の方針に従って制服、体操着を購入し、決められた格好で登園させるわけだから、そこに違和感などあるはずもない。
しかし、子供が成長して、周りを意識するようになってくる頃に、みんなと同じ服を着て過ごすと言うのは、それまで自由な服だったりすると、当然ちょっと違和感を感じて、しかしみんなが同じようにしているから、そう言うものとして自分なりに納得する。
制服についての前置きはこれくらいにして、本編。子供の頃から、おなら遊びでおもしろいと思ったり、やってはいけないと叱られていても、出したくなる時にこっそり出すつもりが、音が鳴ったとか、恥ずかしい気持ちも持ち合わせながらも好きに変わりないことが前提で進める。
中学からは制服の中に体操着を着ている。常に体操着を着ながら生活することになる。その体操着も小学校の頃とは違い、使われている布が水着のようなものになり、肌触りが今まで知らなかったものになる。触っているだけでも気持ちいい肌触り、とても新鮮過ぎている。そして、体操着は暖かい。着心地の良さを知ることになる。今まで普段着で過ごしていたから、今までにない着用感を味わう。下着の次に直に体操着だからなおさらのこと。それでいて上に学ランを着ているから制服で見えない。このちょっとした隠し要素もまたヤバい。
暗に「体操着は隠して着るもの=秘密の事」内緒のことと言うか。後にこれが響く。
いわゆる「大人の事情」のひとつに、内緒の理由=秘密の事、があるように、それと似たような状況が日常的に過ごすことになる。
今までは隠し事も通用しなかった家で、中学に通うようになってから、中に体操着をこっそり着ていること、と言うのが秘密になって、みんな知っているけど家族も先生も、そう言うのは知らないみたい、これがちょっとした新鮮さを感じさせたりしている。
さらに、おならについても引き続き、みんなの前では、してはいけないことと教わっているのは、誰も共通のこと。しかし、やはり出したくなると、恥ずかしさを感じたりする時は静かに出そうとするものの、恥らいもないと平気で音を立てる。
中学では少し環境が変わることから、男子と女子が別々に輪を作るようになるため、異性には気を使うようになり、同姓では秘密にしていることを共有したりする。
何気に過ごしている学校の中で、登校からすでにいつもと違う(体操着を着ている状態)から入っていること、それが秘密ながら通っていること、それら意識した上で同僚と接する。
おならについて恥じらいのない奴は、平気で出す。子供の頃から出すことに抵抗を感じなかったり、遊び目的やおもしろいと感じないと、特に意識することもなく出す。それが自分にとっては、本来ならいけないことと教わっているから、ギャップが生じる。
帰り道でも、「ぶうぅぅー」と音を立てて堂々とおならする奴が居たりするだけで、えっ、と思うわけで。
見れば制服、中に体操着。体操着を着ておならした、と言う構図になる。嫌でもそう意識せざるを得ないわけで。
それが稀にあることだったのが、なぜか中学からは、みんなが当然のように、普通におならをするようになる。と言うか、自分の家庭環境と、奴らの家庭環境の違いがここにあって、我慢するより出したほうが良いとされているから恥らしもなく出している、となっていれば、ギャップが起きても仕方がない。けど、それを理解することは不可能である。今だから分かるけど。
女子の前では絶対にしないけど、男子同士では普通に。それがどう言う時でも。教室でも掃除の時でも、体育の時でも帰り道でも。
自分の中では、おならはいけないことと聞いていたし、トイレで出さないといけない意識を持たされていたから、普通にやる奴らが信じられないほどだった。
体操着を着て、おならをしている。秘密の重ねあい状態で、やってはいけないことと認識させられていることを仲間内では平然とやってのける。これが結構ヤバい。変な意識を持たせすぎているじゃないか。
スク水みたいな肌触りの新しい体操着は、ちょっと変わった感じがしていたし、お尻がお尻じゃないみたいに気持ちよすぎていたし。
小学校の時は、友達でもおならする前に「あ、へが出る」と予告があって出していた奴がほとんどだったのに対して、中学からは音が先に鳴るからビックリする。えっ、と目を丸くして相手を見ると、平然と「あーまた出ちまった」みたいにしているのが。
中学の体操着になってから、スク水っぽい肌触りの体操着で、ちょっと暖かい。確かにおならしたくなる頻度も上がったのは実感している。
それでも、したい時は一応後ろを振り返ってから、誰もいないのを確認して、放屁していたくらい、結構慎重にやっていたほうだ。
不思議と、体操着を着ている間は割りとおならがたまりやすくて、出したくなる。普段着になると、そこまで頻繁にはならないのだが。
これのせいで、学校にいる間は結構たまって、よくトイレで出していたし、学ラン下ろせば体操着が見えるから、スク水みたいな肌触りの短パンからチンコを出して。と、必ず体操着を触るわけで、肌触りをその都度感じさせているのも意図的なのかと。
水着のような短パンでおならを出すと、ほんのり温もりが残るのも特徴だった。しちゃった感を意識させられる。
同時に、腹の空気が抜ける気持ちよさも味わうので、結果気持ちいい。「ふぅー」となる。
教室に戻れば、またたまりだす。授業中はもらさないように違う意味で神経張ってた。
それでも奴らは普通に目の前でおならしてたわけで、全く平気な様子。臭くないからいいんだけど、自分は臭いのを気にしたから、出せなかった。
でも、一人の時に、水着のような短パンで、音を立てておならをすると、これが結構気持ちいいくらい。残る温もりも、スカすよりかは音を立てたほうがサラっとした感じになる。臭いはその時その時で違うため、地雷確定で人前では出さないことにした。
これがずっと意識し、浸透することになり、この体操着はおならがたまりやすく、出したくなる、と言う認識になる。
それもあって、2年生の頃には、おならがしたくなる奴はトイレに行かずに、近くにいる仲間に寄って放つと言うネタ要素で遊ぶような光景も見られるようになる。「またお前か」と言った具合に、「またしやがった」程度に。
その2年生の時、毎日下に体操着を着て過ごすことも特に違和感も感じなくなっていたものの、妙にチンコが感じやすくなってきた。
家に帰れば、体操着で勃起しているとき、上からチンコを触ると、妙に感じてそのまま抜いたし、その気持ちよさがまたヤバくて、オナニー自体は小6の頃から知っていたけど、本格化したのはこの頃からだ。
毎日触るたびにチンコか意識していまい、感じやすくて抜きたくなる衝動を受けることも。
どうしても我慢できない時は屋上に行って、ズボンに手をつっこんで立ったままイッてしまったくらい、気持ちよすぎていた。
そんなある日、掃除の時間に体操着でやる時、みんなが体操着でやるのが当たり前なのに、そこに興奮してしまって勃起、立てばチンコがフル勃起しているせいでテントを張ってバレバレで恥ずかしすぎて立てない、と言ったヤバい経験がある。
立ち上がれば短パンがチンコを優しく包むため、チンコが敏感に反応。しゃがめば少し気休め程度に落ち着くものの、あの時は本当に焦った。
そんな日の帰りは当然、チンコを早く遊ばせて抜きたい衝動にかられ、家へ素早く帰り布団に直行、フル勃起のチンコは短パンの中でめちゃくちゃ頑張ってる。優しく包む短パンはチンコを容赦なく攻める。チンコはさらに感じてしまう、と言うループが続いて、本当に拷問。
スク水のような短パンは指で触るにも本当に優しくフワフワしている。それだけでも魅力的なのに、さらに敏感に感じてしまうとなると、好きになりすぎて当然である。
それまでも、よくおならがたまりやすい体操着、ちょっと変わった体操着、スク水みたいで女の子の体操着みたい、いくつもの要素が重なって、自分でも気づかないうちに欲情してしまったのかもしれない。
最高の気持ちよさを味わって以来、病み付きになって、今も卒業できない。むしろ相性は良く、毎日飽きない味わいをくれる。これにかわる相手はないほどに。
もともとおならが好きだったことから始まり、体操着がスク水のような女子用のようなものになって特別な感じを受け、毎日、中に体操着を着て過ごして、おならしたくなったら音を立てて出すとさらに気持ちよく、チンコまで感じるようになってしまい、体操着でオナニーをすると格段に気持ちよすぎる刺激を受ける、これでやめられなくなった。
ただおならを聞いただけではどうでもよく、この特定条件に当たらないと勃起にはならない。自分の知っている体操着の布地でおならをしてしまった時に、意識してしまうかもしれない程度。ブルマではない。
体操着でのオナニーが最高の刺激をくれたことで、以降から体操着に依存してしまうようになる。
着ていないと物足りないくらいになる。
さらに続いてしまうと長くなりすぎてしまうので、このくらいで。
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